各地から大山寺に通じる道は大山道と呼ばれ、大山寺を中心に放射状に広がっているが、溝口・尾高・佐摩からの3本の大山道には、享保年間から作られだした1丁地蔵が今も残っている。明治期の大山の牛馬市は日本随一といわれ盛況を呈した。