本県西部の山間部の傾斜地では、葉煙草の栽培が江戸初期から盛んで、なかでも三好郡はその中心をなした。明治35年の調査では、県下134工場のうち池田に74工場があり煙草製造業者の55%が集中していた。
主要な交通路は、鉄道が敷設されるまでは、吉野川であった。徳島〜撫養との間を川舟が人や物資を運んだが、明治20〜30年代になると「平田舟」という帆かけ舟が盛んに用いられた。