町の中心地は薬王寺の門前町と日和佐港の周辺で漁業と商業が中心となっている。 明和6(1769)年に郡奉行の名を改めて郡代とし、通称御陣屋といった。御陣屋というのは、藩主が地方巡遊の際に宿舎として本陣としたからである。 海部の鞆浦にあった郡代役所が文化4年日和佐に移転し、それにより明治に至る約60年間日和佐に置かれた。藩政末期は、日和佐が海部郡の政治・文化の中心になっていた。 古くから沿岸漁業の基地として港町が栄えてきたが、大正期には、北九州から東シナ海方面にまで進行し、わが国遠洋漁業の先駆をなした。