蜂須賀氏の入部直後、山岳地方の押さえとして代官所が設置された。貞光川が吉野川に合流する谷あいに広がる商業地として栄えた。 明治30年以前は、農民が89%、小売り販売者6%、職人3%で一部の富豪が酒造、刻み煙草製造などを行っていた。 戦後、昭和20年以降は、専業農家の増加、山間地からの出稼ぎ、離農の増加などにより、谷口の商業街貞光地区への人口集中が起こり、商業の発展を促した。