秀吉の四国平定後、阿波は蜂須賀家政が領主となり、西方の要として、家老稲田氏が派遣され、稲田氏の地行となった。
江戸中期には、木地師より転職した塗師が半田村で漆塗りをはじめたのが半田塗の起源と推定される。 天保初期まで販路は、関西、中国、九州諸国にまで広がった。やがて江戸まで販路を拡大していった。
昭和40年代には、約250年続いた半田漆器は全て生産を停止した。漆器の衰退に代わるように半田手延素麺が半田の名産となっていく。