土佐本道は、徳島と土佐を結ぶ陸上交通の要路であった。四国遍路、旅の商人、飛脚などの往来がはげしかった。 江戸中期以降には、大坂、兵庫、堺、徳島などの港で、米、酒、塩、砂糖、布類、雑貨などを積み込んだ200石〜500石が、鞆や那佐の港に碇をおろしていた。海部からの積荷は、木楮、木炭、茶、和紙、椎茸、太布などであった。