田川右岸の沖積台地上に位置する。宇都宮城下の西北、田川中流右岸の沖積台地上に開かれた西原10か新田村のうちの1村。入植者は周辺の村をはじめ上野国館林・下総国古河付近の村から移住してきた。助郷は日光街道徳次郎宿へ出役した。沖積台地で用水が乏しく、安政6年に田川から引水したが、水田の開発は困難で作物は主に粟・蕎麦などの雑穀類が中心であった。 一筋の道路の両側に大きな長屋門の続く通りがある。また、大谷石を使った蔵や瓶が続いている。