巴波川左岸の低地に位置する。地名の由来は、天正年間岡田嘉右衛門が独力で開発したことによる。嘉右衛門新田が例弊使街道沿いを中心として市街化するに伴い嘉右衛門町となる。 巴波川舟運は元和年間以来開かれ、栃木町を中心として発展し、安永3年には、当村にも舟積問屋が1軒見られた。岡田家は代々嘉右衛門名を世襲し、畠山領内13か村・惣代名主的役割を果たした。