黒川と小倉川の合流点の北側に広がる沖積台地上に位置する。 正徳2年若年寄鳥居忠英が近江水口から3万石で入封すると以後明治維新に至るまで鳥居氏の領有するところとなった。 日光街道の壬生通の宿場町であり、黒川に壬生五河岸と俗称される5つの河岸をもつ舟運の中心地であるという交通の要衝としての立地条件にある。