中国山地の蹈鞴(たたら)で栄えた街並みや鉄山師 



 名称 所在地  地図 
 吉田(田部家)  雲南市吉田町


 
 出雲御三家の筆頭鉄師田部家の居宅のある所で、田部家を中心にして街並みができた。田部家の祖は紀州熊野庄田辺氏の流れと伝え、文永年中(126475)吉田村に移住し、寛正元年(1460)本格的な鑪製鉄を創業した。

 戦国期には備後の山内周藤氏の家臣として合戦に従事し、天正9年(1581)頃から製鉄業を専業とした。大正12年(1923)頃まで続き、それ以降は木炭業に転業した。

 日本一の山林王とよばれる。近世には松江藩の手厚い保護を受け、製鉄に必要な木炭の供給源として山林を確保した。鑪1ヵ所を経営するためには木炭林3,300ヘクタールが必要といわれ、最盛期の田部家は7、8ヵ所の鑪を経営していた。田部家は日露戦争の頃、農地400ヘクタール、山林24,000ヘクタールを所有していたという。

 周辺の人々は鑪製鉄になんらかのかかわりをもって生活しており、製鉄産業は中国山地における一大産業であった。(日本歴史地名体系)



   
   田部家の土蔵群


   
 田部家とともに歩んだ吉田の街並み


   
菅谷の集落 


   

菅谷鑪の高殿(田部家の数ある鑪のなかでも名実ともにその中心をなしていた菅谷鑪は最も古く長く継続し、産出する鋼は良質であった。) 



   
鉄の歴史博物館 鉄塊(鉄の歴史博物館)
   
商工会館 村下屋敷(菅谷)


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