名称 | 所在地 | 地図 | |
千屋(太田家) | 新見市千屋実 |
太田辰五郎は、享和2年(1802年)備中国阿賀郡実村(千屋実)の太田政蔵政克の長男として生れ 安政元年(1854年)に病没した。 太田家の先祖は、源三位頼政、太田道灌もその一党といわれる由緒ある家柄で、辰五郎は23代目の当主である。 太田家は、作州久世から千屋に移住、鉄山業で成功、名望を集めていたが、辰五郎は千屋移住後の5代目に当たり、家業を伸ばし、田畑1千石余り、鉄山⒑余を有する資産家となった。 また、殖産興業の志があつく、植林や開墾、牛の改良増殖に熱心で、地域産業の振興に精魂を傾けた。 天保大飢饉には貯蔵米、銀、鉄を救済のために放出したり、江戸城の造営に当たっては、錬鉄を3600貫献納し、子々孫々に至るまで、名字帯刀を許されていた。 屋敷跡は7年かかって加賀百万石前田候の江戸屋敷をそのまま写したもので内庭6反6畝、四方濠は当時一国一城の主でなくては許さえれないため、三方濠とし主屋の外、土蔵13棟、下男下女部屋牛馬舎などがあった。(太田辰五郎翁彰徳碑説明版の一部) |
太田辰五郎翁彰徳碑 |
て屋敷のあった場所 |
屋敷前の牛馬市場のあった場所 |
屋敷に残る土蔵 | 屋敷の濠の跡 |
太田辰五郎屋敷図 | 屋敷の山手にある墓地 |
もう一つの石碑 | 牛馬市場に残る古い松 |
千屋の街並み | 千屋に残る酒造場 |