中国山地の蹈鞴(たたら)で栄えた街並みや鉄山師 



 名称 所在地  地図 
 東城  庄原市東城町


 
 奴可郡の鈩製鉄は「当郡第一の産業、諸民これによりて生活するもの多し」といわれ、旧東城町にも鈩(製鉄炉)、鉄穴(砂鉄採取場)が多かった。
 元和
6年の奴可郡の4産高は5,364貫で恵蘇群に次ぎ、産地として旧東城町の小奴可・上千鳥・小串の名も見える。砂鉄と木炭が豊富で小鉄7里に木炭3里という鈩製鉄の条件に適し、製鉄、炭焼、原料・製品の駄送、鍛冶などの産業が寒冷で耕地の狭い当地方の経済を支え、東城は「くろがねどころ東城」といわれ、鉄の集散地として栄えた。(日本地名大辞典) 

 古くから陰陽連絡の要地、備中と備後の藩境の要衝として栄えた町である。浅野藩の支配では、家老亀田高綱とその家臣団を配した。

 往時の繁栄の象徴として木造3階建ての建物が多く見受けられる。江戸時代から酒所として知られ、最盛期の明治後期から大正にかけては、「東万歳」「菊文明」「定家」「浮心」「大山」「桃太郎」「超群」の7軒の酒造家があった。また、偕楽座、松濤座のような劇場・映画館もあり、料亭・料理屋、旅館も多数あり検番も置かれていた。



   
三楽荘(旧保澤家住宅)   


   
 古い家並みの残る新町地区


   
木造3階建のある街並み 



   
改修前の三楽荘 金融機関跡
   
家中町に残る武家屋敷を思わせる門 検番のあった所(現在正面の板塀は撤去され更地になっていた)
   
 木造3階建  木造3階建 


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