中国山地の蹈鞴(たたら)で栄えた街並みや鉄山師 



 名称 所在地  地図 
 比和  庄原市比和町比和


 
 「芸藩通志」によれば戸数137・人数457・広さは東西1里・南北12町とある。享保年間には鉄穴が22か所、布見・比和谷には鈩があった。砂鉄・木炭・銑などの貨物の駄送のための牛馬の飼育が盛んであった。出雲路の比和宿が置かれ、「芸藩通志」に「比和駅、伝馬定数なし、逓送南は伊勢町へ里、北は新市駅まで三里半」とある。比和駅を中心として市街地が形成され、寛延4年の比和村万旧録には、通りは間口335間9歩とある。明治4年広島県に所属。藩営鉄山は県に移管された。 

 明治39年森脇に米子製鋼所石カ原製鉄所が開業し、銑鉄運送のため交通量が増加。同43年浄土寺坂下に家畜市場が開設され、周辺には民家も増加。近世以来本町・新町の町割がなされていたが、市街地の発展により上組・中組・下組と称されるようになり、大正10年には世帯数159となった。昭和8年の町政施行の頃から町割は上町・中町・下町と改められた。この頃市街地には役場・郵便局・駐在所・公会堂・小学校・公民学校・芸備銀行比和支店・乾繭所・医院3・旅館4などがあった。(日本地名大辞典) 

 比和を訪問した時、街の正面にある八幡宮の麓(上町)と街の入口(下町)に遊郭があり、夕刻になると、通りを練り歩いていたという話を教えていただいた。この街の最も繁盛した時代なのかも知れない。 



   
比和の街並み正面に八幡宮がある(中町)


   
 比和の街並み(下町)   



   
醤油蔵 遊郭があった場所は駐車場となっていた


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