街並みの名称 | 近江八幡 | 地図 |
所在地 | 近江八幡市 | |
訪問日 | 平年20年10月12日 |
天正13年(1585)豊臣秀次は、秀吉から近江20万石をもって、当地に封ぜられた。秀次による町づくりは、八幡山の一画を切り崩して沼地の水を抜き、町の西半分を占める沼地を埋め立て、埋め立て地の町並みには上下水道を造るなど、広範な土木工事を伴うものであった。 天正18年(1590)小田原落城後秀次は岐阜竹ヶ鼻へ転封となり、そのあと京極高次が2万8000石でこの地に封ぜられている。 江戸期に入ると幕府領となり、元禄11年(1698)には新町以西が朽木領に、宝永5年(1708)全町朽木領に、文政9年(1826)再び全町幕府領に、天保13年(1842)尾張徳川領となった。 |
市民の力で蘇った八幡堀 |
近江八幡の街並み |
京街道 |
近江八幡の街並み |
白雲館(旧八幡東学校 現観光案内所) | |