街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   追分 地図
 所在地  大津市
 訪問日  平成31年1月28日


 江戸期は、俗にいう大津100か町の1つで、幕府領。
 町名の由来は、京街道(旧東海道)と山科街道の分岐点に位置したことによる。逢坂峠を京都側に下ったところで、江戸期は南・北2町に分かれていた。北から下火打・北追分町と髭茶屋町が合併して追分町となった。

 元禄8年町家は、京街道の東側に40軒、西側に34軒。大津絵(別称追分絵)や針の製造販売店が多く、針では万治元年創業の大黒屋森越清兵衛が老舗であった。明治13年開通の旧東海道線や同45年開通の京津電車の軌道に町を削られ衰微した。


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追分の街並み


 
 
   
 
   
   


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