江戸期は、はじめ幕府領、享保9年からは大和郡山柳沢氏領。 中山道の宿駅で、本陣1・脇本陣1・旅籠22・人馬継問屋5、さらに将軍上楽時の宿泊所としての御茶屋御殿があった。 延宝3年には、庄屋3人・問屋12軒・年寄13人・年行事4人・あるき5人・馬指2人・蔵番6人・馬方夫役180軒・無役人71軒。 享保9年には、俵物・もぐさ・油などの商人15軒と酒造4・木挽4・紺屋3・医者2があった。