江戸期の中山道の宿駅。天保期の人口808・家数178.本陣・脇本陣は中町にそれぞれ1軒、旅籠10軒。地子免なし。問屋場は中町に4か所、東町に2か所、宿常備人馬50人・50匹。鳥居本宿へ1里1町、醒井宿へ1里。
宿は中町・東町から構成される。問屋は1か月交代、本陣の建坪156坪、脇本陣は84坪。芝居の「瞼の母」で有名な番場の忠太郎はこの宿である。