江戸期の家並み東西4町38間・南北7町15間半。人口2,351・家数586、本陣・脇本陣は1・2丁目に1軒ずつ。旅籠72軒。問屋場は4丁目に1か所、常備人馬100人・100匹。大津宿へ3里25丁、石部宿へ2里35丁。東海道と中山道の分岐点であるため宿場町として栄え、正徳2年には荷物の重量を改める貫目改所が設置された。