市場町、宿場町であった。 明治4(1871)年の万手鑑によると上領組18ヶ村の代官所本陣があった。 近世は、津和野藩領となり、藩では承応元(1652)年に当地の百姓を飛騨国に派遣して紙すきを習わせ、以後特産品として紙を納めさせた。