幕末の元治元(1864)年母里藩主松平直哉は、母里藩創始以来はじめて自分の領地に足を踏み入れた。5,000人の農民がこれを迎えたといわれている。 その後長州征討軍への参加、大政奉還、版籍奉還、廃藩置県と激動の歴史であった。
母里藩は、士族のために独自の帰農政策をとった。士族60人、卒71人など162人を帰農させるために120町余の田畑の買い上げが必要で農民から買い上げたものを順次交付していった。廃藩により中途で挫折を余儀なくされた。この帰農政策は、藩が農民の「所有」権を有償で買い上げ家臣団に分配して士族的土地所有をつくりだそうとしたことで全国でも例をみない土地制度の変革であった。
ここにある屋敷群は、武家の門構えのようでもあり、母里藩の帰農政策を思わせる屋敷のようでもあった。(学術的に考証したものではありません。)
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