江戸時代松江藩領となるが,貞享元(1684)年母里藩の本拠地となり、同年藩館は西母里に築造された。これ以前から伯太川西岸沿いの母里集落は、都市的発達をみて母里町とよばれていた。 母里藩松平家は、江戸定府の大名で、10代目の松平直哉が元治元(1864)年に帰国したのが唯一という。藩政は、国表の家老(一人)、城代(一人)を中心に足軽まで含めた50数名で運営された。