田部家の数ある鑪のなかで名実ともにその中心をなしていた菅谷鑪は最も古く長く継続し、産出する鋼は良質であった。松江藩が領内に産する鉄を専売するにあたっては、とくに菅谷鑪の製品は大坂蔵屋敷において各問屋に売却された。 現存する建物(高殿)は嘉永3(1850)年火災により焼失したのを再建したものである。