町を貫流する赤川は、七つの流れを合わせて町に入り、斐伊川の逆流でしばしば被害を受けた。昭和36年から40年にかけて立て続けに水害にみまわれた。赤川の治水は、江戸時代から現代に至るまで悲願であった。 平成8年、岩倉の農道工事中に多数の銅鐸が見つかった。1か所の出土例としては過去最高で、古代史の謎を解く発見として注目を浴びている。