享和元(1801)年より竜谷鑪が開かれたと伝えられる。 山内入口には、門番の許可なく立入りが禁止されていた。天保12(1841)には、成日照にも御手鑪が設置され、成日照には銅山もあり、安政年間以前に採掘がされており、明治10年頃からもしばらく掘っていた。