街並みめぐり


 街並みの名称  大森  地図 
 所在地  大田市大森町
 訪問日  平成23年9月24日

  県別リストへもどる 

                                            

 石見銀山は、1526(大永6)年に九州博多の豪商神屋寿禎によって発見されて以来、約400年にわたって採掘されてきた日本有数の鉱山です。1617世紀の約100年の間には銀が採掘され、大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。
 また、石見銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ(
soma)銀」と呼ばれ、海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担いました。17世紀前半の石見銀の産出量は年間約1万貫(約38t)と推定され、世界の産出銀の約三分の一を占めていたといわれている日本銀のかなりの部分を算出していたと考えられます。 

 江戸時代、銀山の中心地域は「柵内」と呼ばれて厳重な柵で囲まれ、出入り口には番所が置かれていた。この柵内で銀の採掘から製錬までが一貫して行われ、最盛期には20万人もの人々が職住一体で暮らしていたのである。
 
柵内に隣接した大森は、かつて代官所や武家屋敷、商家、寺社などが混在して立ち、銀山の発展とともに栄えたところ、赤茶色の石州瓦で葺かれた美しい家並みが1kmほど続き、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。


大森の街並み
観世音寺からみる大森の街並み
   観世音寺の手前

   
 石見銀山資料館(大森代官所)
   
 熊谷家住宅(重要文化財)
   
 大森の街並み 観世音寺 

TOPへもどる   県別リストへもどる

 
inserted by FC2 system