久手は湫(くて)に通じ、開けば田になる湿地があった。古代この地は海水が浸入していたので静海、大津の地名が残されている。のちにこれが波根湖となるが、排水が悪く長雨のための泥海となり被害が多かった。神谷の有馬友左衛門宗清は柳瀬要害山の切割に着手した。2代次郎左衛門宗茂によって、徳治元年工事は完成した。これによって湖岸に水田が広まった。昭和21年波根湖を干拓して水田にした。久手、柳瀬は沿岸漁業の基地になっている。