地名の由来は、「八重葎」に「河合郷と号する所以は、昔、此地に美女坐す、津麻媛と云う、好んで花を愛し給う故に、里人誉めて紅梅唐女という。其切りしを誉めて可愛という。後神亀3年に改めて河合又忍原川池田河の合う故、川合と云うともいう」とある。石見一の宮の物部神社が鎮座する。 肥沃な沖積地で石見国中で最も早く開拓された所と推定されている。