阿井川の両岸に開ける河岸段丘と幾条かの支流の広い谷間に立地する。 慶安元年の検地帳によると町屋敷として30軒があり、目代、町役人も置かれていた。 現在も、周囲の長閑な広い風景と異なり、メインストリートの両側に旅館や商店を思わせる建物が軒を連ねている。 昭和3年に大火があり、街は焼失した。現在の建物は、その後に建てられたものである。