当地で鑪師を始めた杠(ゆずりは)氏は、備中国新見庄杠城主杠惟久の末裔。惟久の嫡子常久は文明4(1472)年杠城落城後、当地に逃れて地頭馬来氏を頼って食客になったという。のち帰農し、天文5(1536)年杠太郎左衛門、杠市兵衛らは大峠で鑪操業を開始した。 江戸時代には、松江藩九鉄師の一人として尽力し宝暦7(1757)年からは水田地主として活躍した。 街並みとはなっていないと思われるが、昔は確かに「町」であったように思える。