櫻井家は、戦国の武将塙團右衛門の末裔家です。塙團右衛門は、加藤嘉明に従って朝鮮に出陣し、関ヶ原合戦には鉄砲隊長を務め、後に大坂夏の陣で討ち死にしました。始祖討死の後、嫡男直胤は母方の姓「櫻井」を名乗り広島の福島正則に仕えましたが、同家改易のときから広島の郊外「可部郷」に住み、後に恵蘇郡新市(庄原市高野町)に移って、“野だたら“を始めたのが、当家の鉄山業の始まりです。
正保の頃(1644の頃)、第3世直重は出雲領上阿井の地に移り、屋号を「可部屋」と呼び“菊一印”の銘鉄を創り出しました。その業績は松江藩に認められ、やがて第5世源兵衛利吉は「鉄師頭取」の要職を拝命し、広く地域内の鉄山業を総取りしきりました。その後も代々の松江藩主の信頼篤く、歴代“鉄師頭取”の役を命じられました。松江藩は領内鉄師に“たたら”で鉄や鋼を生産させ、それを藩で売りさばいて大きな財源にしました。
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