江川舟運のうえで江津と三次との中間地に位置し、しかも大森の石見銀山方面や赤名から出雲方面、出羽から安芸新庄、三次方面への道が交差する陸上交通の要衝でもあった。 街並みとしては、ほとんど残っていない。この集落に、写真館があったことを考えると往古には街並みがあったのだろうか。