海岸部を東西に通じる山陰道浜田街道と跡市村を経て安芸国方面へ通じる街道が分岐する交通の要衝で、浜田藩では村の半ば中央の大手神社付近に都野津口番所を置き、交通の取り締まりと物産の出入りの監視にあたった。 沿岸漁業の盛行に伴い、鮮魚、塩魚類の販売にあたる棒手と称する朝売りが盛行した。一日行程で遠く安芸国までの行商が行われた。これがのち都野津商人といわれる呉服反物を主とした行商へと発展した。沿岸漁業の発展はさらに海運業をも発展させた。