浜田藩では、跡市代官所を置いた。 跡市代官所は、阿刀市御役所とも称され、跡市盆地の中心地、通称「町」と称される所に置かれ、代官役宅と手代役宅二ヶ所があり、代官と手代2名が常駐した。 跡市代官所は、天保7年松平家の応酬棚倉への所替を機として代官、手代とも引揚げ、代官所建物も同13年解体された。