農間には男は山稼ぎと称する薪炭・林産加工、女は養蚕・絹織り。小鹿野の街並みには、5・10の日の六斎市が立ち、絹・横麻のほか、木綿縞物・煙草・青黒大豆・小豆・紙・干柿などが持ち込まれて交易された。市立ての状況は秩父大宮郷の形式に似た町内6区分、各区月1回の市場となった。 この市が吉田と同様絹取引量を大宮郷の2割当てとしたにもかかわらず、吉田よりはるかに繁栄したのは、比較的富裕な両神村からの流入商品があったということと、中山道を避けて信州方面へ近道をとる人々のための秩父最後の宿場であったことによる。