街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   嬉野 地図
 所在地  嬉野市下宿
 訪問日  令和5年2月21日


 嬉野の宿場は嬉野湯宿とも呼ばれ、長崎街道二十四宿の1つで、塩田川上流域の左岸に位置し、彼杵宿まで2里28町、塚崎宿まで3里14町、塩田宿まで2里42町であった。同宿は寛政9年より長崎奉行の宿泊地とされ、幕吏や大名も利用するようになりました。

 藩政期、嬉野は蓮池藩領で、温泉は藩営であった。元禄4年ケンペルの「江戸参府紀行」、文化4年シーボルトの「江戸参府紀行」にも、その光景が記載されている。

 藩政期には、御前湯・侍湯・町人湯の別があり、広く利用された。寛永16年以降蓮池藩が統治していたが、御茶屋(温泉付き)は狭く、本陣は瑞光寺に置かれた。御茶屋の隣には藩営の浴場もあり、その近所には36余の旅籠もあった。

 現在の嬉野は、宿場町というよりも温泉街の色彩が強くなっているように思える。シーボルトの湯界隈の川縁の景観は、昔ながらの旅館等の残り、嬉野湯宿の名残を感じさせる。


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嬉野の街並み


   
シーボルトの湯   旅館
   
 嬉野橋
   
 
   
藩境石(番号石) 長崎街道嬉野湯宿東構跡口
   
 井手酒造  


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