塩田宿は、長崎街道塩田通り筋に栄えた宿場であり、また蓮池藩の西目や塩田川を利用した河港として繁栄し、藤津地方の商業の中心地であった。
天禄3(1690)年に来日し、日本国内を見聞したケンぺルは、「江戸参府紀行」の中で焼物の町として紹介されている。