街並みの名称 | 北方 | 地図 |
所在地 | 武雄市北方町大崎 | |
訪問日 | 令和5年2月21日 |
享保年間より長崎街道が志久村追分(国道34号追分交差点付近)より北部山沿いに稲主神社・大崎八幡宮前を経由して西に進み、塚崎(武雄)温泉に至る街道に変更され、江戸後期に入ると街村が進み北方町と呼称されるようになった。 石炭は、明治28年以降鉄道による輸送が増加したが六角川の水運も大きな役割を果たし、久津具や新橋の土場口から船積みされて、六角川河口の住ノ江港まで運ばれ、ここから汽船に積み換えられ各地に送られた。 現在の北方の街並みは、国道34号を並行に進み、県道24号をと交差するように延びている。 |
北方の街並み(右は本陣跡) |
懐かしい風景の街並み | |
炭鉱が盛んな頃の炭鉱絵馬が奉納されている八幡宮 | |