中世に河港として栄えた、江戸期も長崎街道の宿場町・河港として栄えたが、港が浅くなり船舶の出入も次第に減少した。
入船時には市が立ち近くからの買い物客で賑わった。呉服屋・菓子屋・米屋・材木屋・料理屋などが軒を並べ「西の今宿」といわれた。この港も昭和期になり鉄道やトラックなど陸上交通の発達につれて衰退した。