寛永年間に祇園川沿いにあった町を藩主鍋島元茂が現在地に移し南北に建設し直したという。 明治期の町内は高原・布施ヶ丘・上町・中町・下町・蛭子町・岡町・正徳町・朝日町・大手町・西小路・北小路・新小路・鯖岡小路の14区に分かれていた。町民の多くは商工業を営み、なかでも生糸・羊羹・清酒・醤油・麺類の製造が盛んで、産額も少なくない。