街並みの名称 | 名護屋城跡 | 地図 |
所在地 | 唐津市名護屋 | |
訪問日 | 平成28年8月22日 |
名護屋城は、豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、国内拠点として築いた城です。わずか5ヶ月で築城され、当時の大坂城に次ぐ規模を誇った名護屋城。 周辺には全国から参集した大名の陣屋が130以上も建てられ、人口20万人を越える城下町が出現しました。国内でこれほどの名だたる武将が一堂に会した城、陣跡はありません。関ヶ原の戦いの後、寺沢広高が唐津城を築城した際に、その一部の遺材を使用したと言われています。その後一国一城令を受け、人為的に破却。(肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会) |
本丸・天守台付近 |
名護屋城説明版 |
大手口 | 天守台から遊撃丸を望む |
天守台から二の丸を望む | 陣跡の説明版 |
三ノ丸から本丸への階段 | 名護屋大橋 |