街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   船屋町  地図
 所在地  伊万里市
 訪問日  平成28年8月23日


 江戸時代、佐賀藩は幕府から長崎警備の任を命じられていたため、軍港として伊万里津と楠久津(現山代町)に御船屋という役所を設けていました。現在の船屋町には佐賀藩と蓮池藩の御船屋がありました。浜町が海岸だったころは武雄領の御船屋もあったといいます。「万延元年(1860年)仕立 伊万里津絵図」には、伊万里川の右岸に櫛の歯型に船溜まりが描かれています。このほかにも藩の造船所や船の格納庫がありました。軍船にのる御船手や軍船をつくったり修理したりする船大工は、山城町や搦町に住んでいました。

明治時代になると御船屋は不要になって民間に払い下げられました。そこを埋め立ててできたのが船屋町で、花街が軒をつらねていましたが、今では当時を思わせる風景は残っていません。(伊万里のまち探検まっぷ)

当時の面影を残すものとしては、相生橋のたもとにある稲荷社の石灯籠に、寄進者として右の灯籠に「藝妓連中」左に「娼妓連中」と刻まれていることぐらいです。


県別リストへもどる 

 
 相生橋を渡った所が船屋町




 
  往時の面影はない 
   
稲荷社  伊万里津を偲ばせるマンホール 


 TOPへもどる 県別リストへ戻る 
inserted by FC2 system