千日前が盛り場として繁栄するようになったのは明治時代からである。それまで千日前は墓場と刑場であった。 今の千日前大通りの北には法善寺と竹林寺という二つの寺があり、法善寺は8000日回向(えこう)、竹林寺は5000日回向といって、いずれも千日ごとに念仏供養を行っていたので「千日寺」と呼ばれ、千日寺の門前だから「千日前」の地名で呼ばれた。
明治になって、火葬場と墓地が阿倍野に移転すると、市街地は南に広がり、現在の千日前界隈の繁華街が誕生した。