1612年に安井道頓(やすい・どうとん)が私財をなげうって開削に着手しました。大阪夏の陣で道頓は戦死しましたが、従弟の道ト(どうぼく)が受け受け継ぎ、1615年に運河が完成しました。開削者の名を取って道頓堀と呼ばれるようになりました。
1615年に道頓堀川が生まれ、江戸幕府が大阪を直轄領とし、市街地の拡張策をとった時から町がはじまりました。 沿岸のうち西横堀川との合流点を境に布袋、宗右衛門、御前、久左衛門、吉左衛門、立慶、久郎右衛門、 と町屋建設が進み川八町が誕生しました。
このうち、南岸は1653年芝居名代5棟が公認されてから歌舞伎、義太夫、見世物などの小屋が並んで栄え、五座の櫓(やぐら)が立って賑わい、櫓町と称される芝居町になりました。
1699年には、いろは47軒の水茶屋が免許されて軒を連ね、北岸の宗右衛門町、南岸の九郎右衛門町(現在の道頓堀2丁目)の花街とあいまって、町人文化の核となったのです。(道頓堀商店会)
道頓堀は、歩いて楽しい街である。各店は競い合うように看板(オブジェ)を掲げている。おそらく道頓堀だけではないのだろうか。
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