薬種屋の出現は、寛永年間(1624〜44)に堺の小西吉右衛門が当町に開業して以来といわれる。 享保7(1722)年、和薬改会所が淡路町に設立されたとき、道修町に居住する薬屋仲間124軒がその吟味に当たった。この薬屋仲間124軒は、道修町薬種仲買仲間となり、享保期には、全国的な流通機構の中枢に位置づけられ、道修町薬種仲買仲間の立会品質吟味のうえ全国に流通していた。 道修町薬種仲買仲間は居住地も道修町1〜3丁目に限られた特権的株仲間であった。 現在もその系譜を引く武田薬品、田辺製薬、塩野義製薬といった多数の薬品関係会社が軒を連ねている。