中世に四天王寺西門前が霊地として栄えたが嘉禎年間に藤原家隆が夕陽庵(せきようあん)を結んだと伝え、「古今著聞集」に見える「契あれば難波の里にやとりきて波のいりひを拝みける哉」という歌は、当地を詠んだものという。 その跡に昭和51年府史跡に指定された家隆塚があり、塚上に享保年中秋坊盛順建立の石碑が残っている。