街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   山王(飛田) 地図
 所在地  大阪市西成区
 訪問日  平成23年12月26日


 大正期以来飛田遊郭の所在地としてしられた。江戸初期、元和の市街地整理によって大坂七墓の一つとなり、刑場ともなった。明治初年に墓地は東方に移転して(阿倍野墓地)、刑場も廃止された。

 当地の名を一躍高めたのは大正7年の飛田遊郭の開業で、これは明治45年、大阪ミナミの大火のため廃業・移転を迫られた業者が、当地を新候補地に選定し、阪南土地建物会社を設立して阿倍野墓地の北西の低地に開業したものである。その地が当地の天王寺村小字北・中・南堺田で、俗に飛田遊郭と総称されるようになり、同遊郭は名楼に寄寓する娼妓に限り遊客の求めに応じる乙種貸座敷であった。
 大正末期には松島とともに大阪市内の二大遊所の一つとして栄え、郭外の大門通りの商店街をはじめ今池・萩の茶屋方面まで賑わっていたといわれる。のち新世界の発展とも結びつき、飛田本通りを結ぶジャンジャン横丁は庶民の盛り場となった。
 また山王一帯には俗に「天王寺村」と称される寄席・芸人が多く住む地である。


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 鯛よし百番(国登録有形文化財)


 
 山王の街並み


   
   
 
   駅に至る途中の商店街


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