南北朝期の建武元(1334)年楠木正成が河内和泉の守護に任じられた際、その一族の和田高家が、当地の代官として配置されたという。この和田氏を「岸の和田」と呼んだのが、岸和田の地名の由来とされる。城下町は、物資集散地として繁栄した。 藩政時代に城下町の中心となっていた一角で、古い歴史を持つ。