古来、大坂と奈良を結ぶ交通の要衝に当たり、大和川舟運のほか、長尾街道・奈良街道が通じて繁栄していた。 豪商三田家は、旧姓水野氏で、大坂夏の陣で豊臣方に加わり戦没した庄左衛門の子三田浄久が寛永17(1640)年柏原新町に移住し、干鰯、油粕などの肥料商を営む一方、柏原船の営業にも参加し、以来豪商かつ地主であった。