鴻池新田会所は、江戸時代に豪商鴻池家が開発した新田の管理・運営をおこなった施設です。 江戸時代の初期の幕府による検地の後に開墾された農地は、水田、・畑地をとわず、「新田」と呼ばれ、日本各地にあります。大阪府河内平野南部では、江戸時代中期、宝永元年(1704)の大和川付替の後、流れがとだえた旧大和川の川筋、玉串川、久宝寺川(長瀬川)の川床や堤防を中心に新田が造成されました。
平野の中央部にあり、旧大和川と寝屋川の水を集めた新開池も、宝永2〜4年(1705〜7)に、鴻池善右衛門宗利とその子善次郎による干拓事業で埋め立てられ、約158haの新田が造成されました。鴻池新田会所は、新田とともに竣工し、240年あまりにわたって使われました。