津久見市四浦地区の中心となる浦。鳩浦・久保浦・深良津とともに四浦の1つ。藩政期から四浦半島の中心地。 地名は平家の残党が落ちて来たところというがさだかではない。古い記録に越智ノ浦の字も見られる。すり鉢のように周囲が急勾配で海に入り、海岸道路下の水深は13mの地勢上からその名が付いたといってもよい。
当地は佐伯藩内の大庄屋があったほか、天神様の祭事を行う時七軒株という組織があった。海部郡浅海井・臼杵・津久見から移住してきた子孫が繁栄して7軒株となった。